学生時代からの夢を叶えたHEAVENS・NASUさんに聞く「東京で働くこと」【後編】
『HEAVENS』 スタイリストの NASUさんに、トレンド発信基地であり、美容の最先端でもある東京で働くことをテーマにインタビュー。 最後となる【後編】では、スタイリストデビューを果たしたNASUさんに、これから叶えたい夢を聞いていきます。 一番はお客さまに喜んでもらうこと。有名になりたいとは思わない —スタイリストデビューをされて、率直な気持ちを聞かせてください。 日美のクラスメイトには、早々にデビューし、いまではセミナーを開催しているなど華々しく活躍している子もいて。そんな姿を見ていると「かっこいいな、自分ももっと頑張ろう!」と思いますね。今は、来てくださるわたしのお客さまを幸せにすることが目標です。 また、アシスタント時代と違い、スタイリストはお客さまから直接お金をいただくようになるので、その分責任感は増えましたね。 NASUさんが手がけるスタイル(Instagramより)。 —確かにスタイリストになると、集客とかも意識しないといけなくなりますよね。 だからInstagramを一層がんばるようになりました。正解がなくて、難しいんですけど……。どんな人なのか美容師の人となりがわかる方が来店しやすいかなと思うので、たまにプライベートのことを投稿してみたり。今は勉強中です。 わたしは、ちょっと重めのスタイルが好きなんですよね。ライン感を効かせたちょっとメリハリのあるカットスタイル。そういう得意なことや好きなものがわかるような投稿を心がけています。 —Instagramを拝見するといろいろなスタイルが掲載されていて、どれも素敵です!お話をうかがっていても、NASUさんだったらさまざまな悩みに幅広く対応してくれそうという安心を感じたのですが、やっぱりそういったお客さんは多いんですか? そうですね。悩みを抱えているお客さまは多いです。例えばクセ毛の方だったり、職業柄黒髪しかできない方だったり……。かつてのわたしがそうだったように『HEAVENS』で培った技術で、お客さんを幸せにしたいなと思っています。またそういったお客さまにリピートいただけるとすごくうれしいです! 酸性ストレートスタイルも得意。 ただ、ちょっと悩みに寄り添いすぎちゃうというところがあるので、お客さんの要望も叶えつつこういうスタイルも良いですよねみたいな、よりベストな提案をできるようになることが今の課題です。 夢は育ててもらった『HEAVENS』への恩返し —最後に、今の夢を教えてください。 正直、独立して経営者になりたいとかはないんですよ。『HEAVENS』のカットや空気感が好きなので、ずっとここにいたいですし、わたしもお客さまに感動を与えられる美容師になることが夢です。育ててもらった『HEAVENS』に恩返しできるようになりたいです。 <PROFILE> HEAVENS 本店 スタイリスト NASUさん 1997年生まれ。神奈川県出身。日本美容専門学校を卒業後『HEAVENS』に新卒入社。約4年のアシスタントを経て昨年スタイリストデビュー。カットと髪質改善メニューを得意とし、ゲストの悩みに寄り添うスタイルを大切にしている。最近はキャンプにハマっているそう。「全部自分でやりたい!という性分なので、ゼロからつくりあげないといけないところがおもしろいです」 Instagram : @nasuharuna <SALON DATA> HEAVENS 本店/ヘブンス ホンテン 東京都渋谷区神宮前5-12-10-1F HP : https://www.heavens.co.jp/ Instagram : @heavens_hair
学生時代からの夢を叶えたHEAVENS・NASUさんに聞く「東京で働くこと」【中編】
『HEAVENS』 スタイリストの NASUさんに、トレンド発信基地であり、美容の最先端でもある東京で働くことをテーマにインタビュー。 この【中編】では、苦しくもあったアシスタント時代をどう乗り越えたかを伺います。 4年間の下積み生活。がんばれたのは… —アシスタントを4年というと少し長いような気がします。何か大変だったことやつらいと感じたことはありましたか? 決して、甘いサロンではないことは覚悟していたんですけど……自分がここまでできないのかという壁にぶつかり、愕然としましたね。 特にデビュー前の1年間は過酷で。業務をしながら終業後は練習。休みの日はモデルハントに撮影にと、よく乗り越えられたなと思います(笑)。 ただこのアシスタント期間で、技術の向上だけでなく、自分に甘えがちな性格を鍛えられましたし、移動時間をリサーチに充てるとか、時間を無駄にしないという意識も身につきました。 —そんな時、支えになったものは何でしょう? まずは同期の存在が大きいです。実は専門学生のとき『HEAVENS』を勧めてくれた友人が同期なんです。ともに悩み、支え合える同期がいたことはとても心強かったです。 また母の教えが「自分で決めたことは最後までやり通せ」なんです。だから、幼少期の習い事などを通して、諦めないという土台や精神面の強さは自分のなかにずっとありました(笑)。 終電まで付き合ってくれる、厳しくも熱い先輩の存在 —逆に、アシスタント時代のうれしかったできごとはありましたか? やはり先輩の温かさでしょうか。できていないことにはダメだとストレートに指摘される厳しさはあったのですが、がんばる人にはとことん付き合ってくれました。 「おつかれさま」とバッグを背負って出ていこうとしていたのに、練習をしているわたしを見るとバッグを置いてハサミを持ってきて、終電ギリギリまで教えてくれる、なんて夜もあって。そんな先輩の姿勢を見て、余計がんばらなくちゃと励みになりましたね。 —たくさんの努力があってのデビューだったんですね。いざデビューが決まって何かお祝いはされましたか? すごくうれしい気持ちでいっぱいだったんですけど、特別お祝いみたいなことはしなかったですね。スタイリストになれたことがゴールではなくここからがスタート。気を引き締めました。 アシスタント時代を通して、一層『HEAVENS』を好きになったというNASUさん。【後編】では、今の目標や夢を伺います。 <PROFILE> HEAVENS 本店 スタイリスト NASUさん 1997年生まれ。神奈川県出身。日本美容専門学校を卒業後『HEAVENS』に新卒入社。約4年のアシスタントを経て昨年スタイリストデビュー。カットと髪質改善メニューを得意とし、ゲストの悩みに寄り添うスタイルを大切にしている。最近はキャンプにハマっているそう。「全部自分でやりたい!という性分なので、ゼロからつくりあげないといけないところがおもしろいです」 Instagram : @nasuharuna <SALON DATA> HEAVENS 本店/ヘブンス ホンテン 東京都渋谷区神宮前5-12-10-1F HP : https://www.heavens.co.jp/ Instagram : @heavens_hair
学生時代からの夢を叶えたHEAVENS・NASUさんに聞く「東京で働くこと」【前編】
ファッションやカルチャーのトレンド発信基地である東京。都内にあるヘアサロン数は約9000件を誇り、美容の最先端とも言えるでしょう。 そんなおもしろくも複雑な街で活躍する美容師さんに「東京で働く」をテーマにお話を聞いてみました。 今回は、ファッション好きがよく訪れることでも有名な『HEAVENS』 のスタイリスト、NASUさんです。 なぜ美容師という仕事を選んだのか。『HEAVENS』で働きたいと強く思うきっかけになった専門学生時代のできごと、挫けそうになったアシスタント期間を支えた母の言葉など。NASUさんのこれまでのエピソードから東京の美容師像を探っていきます。 単純な理由で入学した日美で、人生の友に出会う —NASUさんは、いつから美容師になることを決意したんでしょうか? 高校生のときですね。仲の良い先輩が美容専門学校に進学したんです。当時わたしもクラスメイトの髪の毛を染めたり、雑誌やYouTubeを参考にアレンジをしてあげたりしていて、「美容師、向いてるかも?」と感じていました。あとは、ファッションに興味があったので、自分の好きな服で働けるということも大きかったです。 —では、数ある学校の中で、日本美容専門学校(以下:日美)に入学を決めた理由は? その先輩が日美だったからですね。結構、単純な理由で選んじゃいました(笑)。 —いざ、入学してみてどうでしたか? それがものすごく良い環境だったんです!好きなものが一緒の仲間がいることが、まず良いですよね。入学してから、自分はあまり器用な方ではないことに気づいちゃったんです……(笑)。でも、みんな努力している、だからわたしもがんばろう!という気持ちにいつもさせられてました。今でもクラスメイトの存在は自分の刺激であり、支えになっています。 学生時代はスナップされたことも。 ヘア人生を変えた『HEAVENS』のカット —今働かれている『HEAVENS』と出会ったのも、専門学生の時でしょうか? そうですね。仲の良かった同級生に「いいよ」と紹介してもらって、『HEAVENS』に行ってみたんです。 わたし、すごいクセ毛なんですよね。だからサロンで「ショートにしたいんです」とお願いしても、毛質的にボブにしかしてもらえなくて……。そんな時『HEAVENS』の世良田さんは「いいじゃん、おもしろそう。やってみようよ!」と念願のショートにしてくれたんです。それが、本当にうれしくて。 サロンでセットしてもらったスタイルを自宅ではなかなか再現できない、って結構あるあるだと思うんですけど、ちゃんと自分でかわいくスタイリングできて、くせを活かしつつショートを楽しめたことに感動して、お客さんとして通うようになりました。 学生時代、HEAVENのスタッフにしてもらった髪型 —通われていくなかでここで働きたいという気持ちが大きくなったわけでしょうか? そうですね。お客さんへの対応やスタッフのみなさんの人間性、サロンの空気感がすごく良いなと。わたしも『HEAVENS』でお客さんを感動させられる美容師になりたいと憧れるようになりました。 「『HEAVENS』に落ちていたら、今、美容師をしていないです」 —そして、その夢を叶えるべく就職活動をされたと思うのですが、いかがでしたか?人気のサロンで、倍率も高そうなイメージがあります。 わたし、『HEAVENS』しか受けてないんです。ここで働けなかったらファッション関係の仕事に就こうと思ってました。正直、面接の手応えはまったくなくて……、想いの強さが伝わったのかなと思います。 念願だった『HEAVENS』への就職を決めたNASUさん。つづく【中編】では、下積みの苦労と腐らなかった理由を聞いていきます。 <PROFILE> HEAVENS 本店 スタイリスト NASUさん 1997年生まれ。神奈川県出身。日本美容専門学校を卒業後『HEAVENS』に新卒入社。約4年のアシスタントを経て昨年スタイリストデビュー。カットと髪質改善メニューを得意とし、ゲストの悩みに寄り添うスタイルを大切にしている。最近はキャンプにハマっているそう。「全部自分でやりたい!という性分なので、ゼロからつくりあげないといけないところがおもしろいです」 Instagram : @nasuharuna <SALON DATA> HEAVENS 本店/ヘブンス ホンテン 東京都渋谷区神宮前5-12-10-1F HP : https://www.heavens.co.jp/ Instagram : @heavens_hair
「美容師はハッピーな仕事」。OLTAのFumiyaさんに聞く、競争社会・東京で楽しく働くには?【後編】
『OLTA』 スタイリストの Fumiyaさんに、トレンド発信基地であり、美容の最先端でもある東京で働くことをテーマにインタビュー。 最後となる【後編】では、「毎日充実している」というFumiyaさんにインスピレーションの源や東京で働く楽しさを聞いていきます。 また、これからの夢も教えてもらいました! 昔から今を探るのは、すごくおもしろい! —Fumiyaさんはどんなスタイルが得意なんでしょうか? 「なかなか説明しにくいんですが……まずぼくは、あんまり手の込んだスタイルが好きじゃないんです。目指しているのは、街を歩いているとき風になびく髪がなんだかいい感じ。なんならスタイリング剤とかもつけなくてもその人に合っている。そんな自然体なのにかっこいいスタイルをずっと追い求めています」 ニューレトロなスタイルも得意。 「スタイルや技術を言語化するのってすごく難しいですよね……。アシスタント時代からずっと悩んでいて。ぼくの頭の中には、完璧なヘアデザインができあがっているんですけど、そのかっこよさをお客さんにうまく言葉で説明できない。美容師になって、自分はしっかり考えるタイプではあるんだけど、コミュニケーションに関しては感覚的に生きてきたんだなと痛感させられました」 —その言語化が難しい問題はどのように解決したんでしょう? 「これを解決と言っていいかわからないんですが……。 ぼくは、昔の雑誌や映画でいいなと思ったスタイルを、今の時代にハマるデザインに落とし込むことが好きなんです。インスピレーションを得るために神保町に古雑誌をディグりに行ったりもしていて。見つけたスタイルは、スマホで撮って自分の手札にしています。合いそうだなぁってお客さんには「どう?」って見せたりして。やっぱり説明するよりもわかってもらえますね(笑)」 競争社会東京で生き残るには、人と比べて嫉妬しないこと —ここまでお話を伺ってきて、Fumiyaさんは東京をとても楽しんでいるなと感じました。この街で成功するには何が大切だと思いますか? 「そうですね。この街で生き残るには、嫉妬しないことが大事だと思います。東京はものすごい競争社会で、みんなが上を目指す街。ぼくもそのレールに乗っかってがんばりたいという気持ちはありますが、人と比べてどうとかではなく、自分の”良い”と思う感性を突き詰めていきたいです」 OLTAのスタッフと。 「上を目指す人がたくさんいるって悪いことばかりじゃなくて、その分、刺激的なこともこの街には多いんです。美容師になって、たくさんの人と出会えて、たくさんの信頼できる人が増えて。信じてついていける人もいれば、ぼくを信じてついてきてくださるお客さんもいる。毎日、充実した日々を過ごせているので、本当に良い職業ですよね。美容師になってまだ6年ですが、たくさんの人との繋がりができました。じゃあ倍の12年やったらもっと増えるんだろうなぁと考えると、東京に来てよかったなと思いますよ」 夢は美容師の枠にとどまらず、トータルでおしゃれを提案できるひと —最後にこれからの夢や目標を聞かせてください。 「まずは長く美容師を健康で続けることが目標です。 次に具体的なところで言うと、ヘアメイクとして、表に出る人たちをもっとキラキラさせてあげたいなって思います。『OLTA』には俳優やモデルをされているお客さんも多いんです。ヘアメイクってその現場かぎりってことも少なくなくて。いつもヘアをつくっている、関係値の深いぼくらだからこその視点で良い作品をつくれるんじゃないかなと」 OLTAのスタッフみんなで。 「あとは、いつかは服を売りたいという野望もあります。古着やファッションが好きだからというのはもちろんあるのですが、美容師=髪を切る人という枠を超え、お客さんにトータルでおしゃれを提案できたらもっと楽しい人生になるだろうなって想像しているんです」 <PROFILE> OLTA スタイリスト Fumiya Minamiさん 1998年生まれ。茨城県出身。国際理容美容専門学校を卒業後、新卒で『OLTA』入社。約3年半のアシスタントを経てスタイリストデビュー。趣味はフットサル。「ぼくのお客さん同士も仲が良くて、みんなで集まってフットサルをしています。お客さんと友達になれる距離感がOLTAらしさだと思いますね」 Instagram : @olta_fumiya <SALON DATA> OLTA/オルタ 東京都渋谷区神宮前4-28-17 ポルテボヌール原宿3F HP : https://www.oltahair.com Instagram : @oltanonichijo
「美容師はハッピーな仕事」。OLTAのFumiyaさんに聞く、競争社会・東京で楽しく働くには?【中編】
『OLTA』 スタイリストの Fumiyaさんに、東京で働くおもしろさと難しさをインタビュー。 今回の【中編】では、アシスタント時代のエピソードをうかがいます。「 アシスタントをするのが美容師の仕事じゃない」という言葉を胸に、いかに効率よく修行期間を抜けるかを意識していたのだとか……。 入社2年目で社歴トップに!? 超多忙な日々を乗り越えた方法は —ここからはアシスタント時代のことを振り返っていきましょう。やっぱり、苦労はつきものですよね……。 「う〜ん、どうだろう。『OLTA』は先輩も優しかったですし、体育会系で厳しいとかも一切なくて。あっ、思い出しました。入社2年目で、ぼくが一番社歴が長いスタッフになったことですね。先輩方の独立が重なっちゃって。もちろん円満な退社だったんですけど、一気に先輩が4人も抜けたことでオーナーとぼくとアシスタントの3人でお店を回さないといけなくなったときはもう大変でした」 —それは大変!どうやって乗り越えたんでしょうか。 「常々、「 アシスタントをするのが美容師の仕事じゃない」というのは思っていて。なので、いかにこの修行期間を早く抜けるかを意識していましたね。 例えば、朝の通勤中に「今日は絶対ここをクリアしよう」って、その日のやることを頭の中で決めるんです。1日ひとつ目標を立てて、1週間、1ヶ月と積み重ねていく。そうやってデビューまでの工程を逆算して考えるんです。すると、今やるべきことがわかってくる。アシスタント業務だけに忙殺されないように行動する、というのを大事にしていました」 —中学生から鍛えてきた考えて行動する力がここでも役に立つんですね。では、『OLTA』ならではの悩みはあったんですか? 「うちは自分でやる気スイッチを押さないといけないんです。温かくて自由な社風ゆえに、誰かにお尻を叩かれるようなことはありません。サボろうと思えば落ちこぼれるまでサボれるし、そこも自分次第なところがある意味厳しいところですよね。ぼくはONとOFFを切り替えて、メリハリをつけることでだれずに乗り切りました」 「あとは、一緒に悩む同期がいないことは少し寂しかったです。でもその分、他のサロンで働く同世代美容師とのコミュニティは広がりました。「カラー剤、何使ってるの?」とレシピを聞けたり、気軽に技術的な相談ができる友人の存在は今でもとても心強いです!」 —なるほど。夏休みの宿題を最後まで残すタイプのわたしには耳が痛いです(笑)。 同年代の友人たちと。 アシスタントは自分の「好き」をコツコツ磨く時間 —さて、Fumiyaさんは今入社6年目ということで、後輩の育成もされているかと思いますが、どんなことを伝えられているんでしょうか。 「自分が信じられるものを見つけてほしいなって思います。例えば、SNSを毎日やるとかモデルハントをするとか写真の腕を磨くとかでいいんです」 「ぼくはモデハンがあまり得意じゃなくて。じゃあどうやって、ぼくやお店を知ってもらえるのか?と考えたときに、昔から好きだったファッションを売りにしようと思いました。SNSで私服の写真をアップしたり。雑誌のスナップ企画に呼ばれて、その写真を見たお客さんがアシスタントのぼくに会いにきてくれたときは、すごくうれしかったです。そんな風にずっと大切にできる強みをこの修行期間に見つけてコツコツ磨くことが大事だよ、という話を後輩にはよくしていますね」 学生時代のひとり旅で培った多角的な視点や考えて行動する力やファッションが好きということが、社会人となったアシスタント時代にも役に立ったというFumiyaさん。 【後編】では、東京で働くことのおもしろさやこれからの夢を聞いていきます。 <PROFILE> OLTA スタイリスト Fumiya Minamiさん 1998年生まれ。茨城県出身。国際理容美容専門学校を卒業後、新卒で『OLTA』入社。約3年半のアシスタントを経てスタイリストデビュー。趣味はフットサル。「ぼくのお客さん同士も仲が良くて、みんなで集まってフットサルをしています。お客さんと友達になれる距離感がOLTAらしさだと思いますね」 Instagram : @olta_fumiya <SALON DATA> OLTA/オルタ 東京都渋谷区神宮前4-28-17 ポルテボヌール原宿3F HP : https://www.oltahair.com Instagram : @oltanonichijo
「美容師はハッピーな仕事」。OLTAのFumiyaさんに聞く、競争社会・東京で楽しく働くには?【前編】
ヘアサロン数は9000店以上と熾烈な厳しさもある一方で、ファッションやカルチャーのトレンド発信基地として刺激的の絶えない場所でもある東京。 そんな東京で働くことのおもしろさや難しさを、『OLTA』 スタイリストの Fumiyaさんにうかがいました。 「美容室はどうも緊張しちゃって、昔は全然好きじゃなかったんですよね……」と感じていたのに、なぜ美容師を志すことにしたのか。いまや美容師は天職だというFumiyaさんのお話を通して、競争社会・東京でのサバイブ術を探っていきましょう。 正直、美容室は苦手でした…… —まず、美容師になろうと思ったきっかけを教えてください。 「実は子どもの頃から美容室が好きじゃなかったんですよね……なんだか緊張しちゃうじゃないですか?だから、美容師さんに良くしてもらったからとか、憧れの方がいてみたいな理由ではないんですよ」 —えぇっ!? そこから何があったのか気になります。 「高校生のときに、将来どんなことをやりたいか考えたんです。自分の関わるもので感動を届けたい。人と話すのが好き。人の役に立てて、かつそれが間近で見られるお仕事がいいなとかって。これに当てはまる仕事を洗い出したら、〈保育士〉と〈建築家〉と〈デザイナー〉と〈アパレルスタッフ〉と〈美容師〉でした」 高校生時代のFumiyaさん。 「決め手となったのは、お客さんとの関係性です。保育士さんは子どもが卒業したら、そこで関係は切れちゃうじゃないですか。美容師は大人と大人の関係だから、ひとりのお客さんの人生に長く寄り添うことができる。あとは、デザインやファッションに近いというところもポイントでしたね」 —職業の要素を細分化して決めるってすごくおもしろい視点だと思います。そういう思考はどこで培ったものなんでしょうか? 「たぶん、ひとり旅をよくしていたからだと思います。中学生の頃からひとりで各地を旅行していて。当時はスマホなんてないから現地でパッと調べることもできないし、そもそも家族も心配するから、どこそこに行って何時の電車に乗って、いくらお金がかかって……といった具合に、さまざまな観点から旅行計画をしっかり立てていたんです。この経験からものごとを多角的に見ること、自分で考えて行動することが鍛えられました」 苦手意識を変えた『OLTA』のホスピタリティ —原宿・表参道エリアで働かれているスタッフさんに出身校を聞くと、「日美(※日本美容専門学校の愛称)」ということが多いのですが、Fumiyaさんはそうではないんですよね? 驚きました。 「そうなんです。それこそ東京っぽい、キラキラしたようなところに抵抗があって、憧れはあったんですけどね……(笑)。校則も厳しくて、言葉遣いといった礼儀からちゃんと教えてくれるここなら2年間、真面目に通えそうだなと国際理容美容専門学校に入学しました」 美容学生時代。 —入学してからはどうでしたか、大変だったことはありますか? 「就職活動のために、サロン巡りをするわけですが、校則で染髪が禁止されていたんですよね。だからカットしかできなくて。でも、それじゃあ技術とか、正直わかんないじゃないですか。だから直感です。お店を出た瞬間に「『OLTA』で働きたいな」って、人柄で決めました」 「実は、専門学校に通いながらもまだ美容室への苦手意識はあって……。それでもがんばっていろんなサロンを回っていたのですが、『OLTA』ほど接客が温かく心地よいところはありませんでした。スタッフもアシスタントもみんながお客さんに話しかけてくれるので、緊張せず楽しい時間を過ごすことができたんです!あと驚いたのはお見送りの距離感。たいてい扉までってところが多いと思うんですけど、お客さんの帰り道まで一緒に歩いていく。なんなら盛り上がったらその場で立ち話までして。そのお客さんとの友だちになれる距離感が自分の目指す美容師像だと惹かれましたね」 オーナーの後藤さん(左から2人目)と。 前例のない就職活動。「ここで働きたい」という覚悟が通じた —そして『OLTA』を目指されるわけですが、就職活動は順調でした? 「いやぁ……なかなか大変でした。入学してからわかったのですが、国際(理容美容専門学校)の生徒のほとんどは、全国展開する大手サロンだったり、地元での就職をモチベーションにしているんです。だから「『OLTA』を受けます!」と先生に言ったら「どこそれ、大丈夫なの?」と心配されたりもしました」 「また『OLTA』は毎年、ひとりしか新卒を採用していません。学校にも頼れないし手探りで進むしかない状況。だからずっと通っていたわけでもないぼくが……と不安になることもありましたが、最後は「ここで働けないなら美容師にはならない」という覚悟が伝わったからだと思います」 —「『OLTA』で働けないなら美容師をしていない」というのはどういうことなんでしょう……? 「高校生の頃から入念に将来を見据え、選び進んできたので、自分が満足できないところで働くなんて無理だなと。とりあえず、で『OLTA』以外のどこかで美容師をしていく選択肢はぼくにはありません、というのは最初からしっかりお話していましたね」 —Fumiyaさんは他の同級生たちとは違うマインドだったと先ほどうかがいましたが、専門学校時代のクラスメイトとの仲はいかがだったんでしょうか。 「そんなわけで、モチベーションが違っていたこともあり同じ専門学生時代の友人はいないんです……。ただ、『OLTA』の最終面接に残った他の子たちとは今でも交流が続いています。またアシスタント時代の苦楽を励まし合ったのは、専門学校帰りに寄った古着屋で出会った他校の学生たちでした。たとえ学校に友だちがいなくても、出会いや繋がれる場所がたくさんあって、信頼できる友だちをつくることができる。これも東京で美容師をする醍醐味だと思います」 当時からよく通う池ノ上の古着屋さんの店主・稲葉さんとは今も仲良し。 美容室が苦手だったはずなのに……明るい気持ちで美容師の道を歩みはじめたFumiyaさん。【中編】では、アシスタント時代にぶつかった苦労や悩みをお話しいただきました。 <PROFILE> OLTA スタイリスト Fumiya Minamiさん 1998年生まれ。茨城県出身。国際理容美容専門学校を卒業後、新卒で『OLTA』入社。約3年半のアシスタントを経てスタイリストデビュー。趣味はフットサル。「ぼくのお客さん同士も仲が良くて、みんなで集まってフットサルをしています。お客さんと友達になれる距離感がOLTAらしさだと思いますね」 Instagram : @olta_fumiya <SALON DATA> OLTA/オルタ 東京都渋谷区神宮前4-28-17 ポルテボヌール原宿3F HP : https://www.oltahair.com Instagram : @oltanonichijo
シーンの第一線で活躍するDaBのHARUTOさんに聞く「東京で働くこと」【後編】
最先端の街、東京。日本の情報発信基地に憧れ、生まれ育った関西から東京の街へと上京した『DaB』のHARUTOさん。美容のトップシーンで活躍するHARUTOさんに、東京で働くことのおもしろさをインタビューします。 東京での華々しく刺激的な学生時代を経たHARUTOさん。 【後編】は彼が『DaB』入社後に感じた力不足と、逆境を乗り越えてスタイリストとして活躍する現在、そして未来の美容師像について語ってもらいました。 →【前編】はこちら 理想のサロンに入社してコンテストで優勝。 ー数ある東京のサロンの中でも『DaB』を選んだ理由は? 『DaB』に入社したのも親の影響があったんです。中学の頃に父と初めて東京に二人旅をしたとき、「DaBで髪切りに行ってこい」って言われて。父が東京で働きたかったと言ったじゃないですか。その中でも『DaB』の代表をとても尊敬していたそうで、もし生まれ変わったらここで働きたいと思っていたそうなんです。父に予約を取ってもらってひとりで髪を切りに行きました。当時、僕は「オシャレだな~」くらいしか感じなかったのですが、いざ自分自身が就職活動をするときにいろんなサロンを見ようと都内のお店を巡ったのですが真っ先に訪れたのが『DaB』でした。 ーそのときの記憶があったからなんですね。 そうなんです。担当してくれたスタイリストがニチビ(日本美容専門学校の愛称)の先輩だったからか、とても会話が弾んだんです。そのときにフッと自分が働いているイメージが湧いてきて、「やっぱり働くならDaBしかない」と思ったんです。代表は美容業界で有名な方ですし、スタイリストのみなさんの技術もセンスも素晴らしいし、そこからは基本的に『DaB』一本で就活しました。 ーとはいえ人気サロンだけに入社するには狭き門ですよね? 後から聞いた話なんですが、僕が入社できたのは特別枠的な感じだったんです。学生時代に『メンズノンノ』や『チョキチョキ』に載せてもらっていたので、『DaB』でも“日美のイケてるヤツ”で通ってて。関西在住時に経験した『カジカジ』での読者モデル、親の教育のおかげで、自分自身にオーラが出ていたんじゃないかと自信に満ちあふれていました。その後に入社して半年後に「アリミノフューチャーズロード」というコンテストのアンダー25部門に出たら優勝しちゃって。無料でロンドンの旅も経験できたんです。 ーまさに美容師として最高の門出じゃないですか! そこからが人生で初めての屈辱を味わうことになるんです。手先が起用じゃないうえに気遣いもできず、同期とレッスンに取り組んでも自分だけ置いてけぼり、僕がサロンワークに入ると仕事ができないのでスタイリストに嫌がられ……。何もできないポンコツだったんです。本当にしんどかった4年間でしたね。 代表の下で働くことでスキルを得てスタイリストに。 ーでも辞めることなく今まで頑張ってきたんですね。 親の教育として一度決めたことは、自分が認めるところまで到達しないと途中離脱できなかったんです。それと入社2年目から代表の八木岡(聡氏)に付いて働き始めたのも大きかったですね。美容師としての所作を代表に教えてもらったり、代表のお客さんに支えてもらったりと、途中で辞めてみなさんを裏切るなんて一度も考えたことはなかったです。 ーそのどん底時代から脱却したんですね。 スタイリストとして活動する今もしんどいことは多々ありますが、現在は違うステージに上がれたのかなと思っています。デビューしたのが2022年の7月で、技術面ではようやく自分のスキルが花開いたのかなと感じていて。 ーHARUTOさんが得意とするスタイルを教えてください。 同世代では一番と言い切れるほどストレートパーマには自信があります。ただ髪を伸ばすだけじゃなくて、クセを取り除きながら丸みを作るようにかけたり、ショートやボブにも取り入れたりと、毎日の生活の中で寝癖が付きにくく、乾かすだけでスタイルが決まるように仕上げます。今までのストレートパーマと印象がまったく異なるのがおもしろいんですよ。 目指すはDaBの代表。美容師の地位向上を目指す。 ー現在、取り組んでいることはありますか? 美容のスキルについては常にアップデートしようと心掛けています。例えば、休日に著名な建築物を見に行ったり、アートを鑑賞したり。「建築ならこの角度で直線や曲線が入るのはなぜなのか?」、「アートならこの色使いはヘアスタイルにも活かせられるのでは?」と、デザインされているものに関して、どのような意図があったのかを探るようにしています。些細なことですが、そのバックボーンが美容に活かせられるときがあるので。 ー尊敬する美容師は? 理想はやっぱりウチの代表ですね。八木岡はイス・シザー・ワゴンといったサロンワークに必要なものだけでなく、生活空間を彩るような家具もデザインするんです。そんな方の下で4年間も働かせてもらい、自分自身もかなり視野が広がりましたね。“美容業界に影響をどう与えるか”を大切にしていて、常に他人のためにどう役に立てるかを考えているんです。美容師の地位向上を目指す姿に憧れていますね。 ー最後に今後の目標を教えてください。 代表のように美容業界に影響を与えられる人材になることですね。美容師って職人でもあるし、エンターテイナーでもあるし、クリエイターでもあるじゃないですか。それなのに職業のヒエラルキー的に低く見られるときがあります。社会的地位の低さをどのように上げていくかが、自分自身が取り組むべきことじゃないかと。僕の中で美容師って医者と同じような職業だと考えています。髪の毛という身体の一部を任せられるというのは、仕事をする上でとても価値があるものだと思っているので。 <PROFILE> DaB スタイリスト HARUTOさん 生まれも育ちも神戸市の25歳。中学1年生時の若干15歳で関西のファッション誌『カジカジ(現在は廃刊)』にスナップ企画で登場し、その後は同誌の読者モデルとして活躍。高校を卒業後に上京して日本美容専門学校を経て、都内に4店舗を構える人気ヘアサロン『DaB』に入社。約4年間、アシスタントとして研鑽を磨き、2022年にスタイリストとしてデビューした。現在は日々のサロンワークだけでなく、アーティストのMVでヘアメイクとして参加したり、後輩の人材育成に尽力したりと忙しい日々を過ごす。 Instagram:@haruto_0210 <SALON DATA> DaB MIX/ダブ ミックス 東京都渋谷区猿楽町28-11 ネスト代官山2F HP : https://dab.co.jp Instagram:@dab_hair
シーンの第一線で活躍するDaBのHARUTOさんに聞く「東京で働くこと」【前編】
今も昔もビジネスだけでなく、ファッションもカルチャーも美容も最先端の東京。 日本の情報発信基地に憧れ、生まれ育った関西から東京の街で働いているのが『DaB』のHARUTOさんです。 学生時代はファッション誌の読者モデルとして感性を磨き、高校を出てから右も左も分からない東京へ。専門学校で出会った同じ趣味趣向を持った仲間と過ごし、卒業後には憧れの人気ヘアサロンに入社。そこで人生で初となる挫折を味わい、そのどん底からはい上がって現在はスタイリストとしてサロンワークに取り組んでいます。 今回は、美容のトップシーンで活躍するHARUTOさんに、東京で働くことのおもしろさについてインタビュー。 【前編】は彼のバックボーンや上京した理由、2年間の学生生活に迫ります。 服好きが高じてファッション誌の読者モデルに。 ーまずは美容師になろうと思ったきっかけは? 神戸でヘアサロンを営んでいる両親の背中を幼少から眺め、純粋に「カッコいい」と思ったのが目指した理由ですね。親からは「美容師になれ」と言われたは一度もなかったんです。小学2年の頃には漠然と美容師を志していましたね。その頃の授業で将来の夢を考える時間があり、汚い字で「美容師」と書いた色紙が今でも実家に飾っています。 ーファッションに興味を持ったのもご両親の影響ですか? 完全に服好きの父と母の影響で、物心が付いた頃にはファッションに興味を持っていましたね。中学に入る頃には「楽園」や「トロワ」、「クラウンマーケット」など、神戸の古着屋に足繁く通っていました。その時期から買い物しているそのショップの人たちとは今でも繋がっています。 ー初めてファッション誌にスナップされたのは中学生の頃ですよね? そうなんです。関西にかつて『カジカジ』っていうファッション誌があったんですが、僕が初めてスナップ企画で写真を撮ってもらったのが中学3年の頃。そのときは父のコム・デ・ギャルソンのセットアップを着て載せてもらいました。年に2回あるスナップ企画にはずっと出してもらっていて、高校2年になって『カジカジ』の読者モデルに起用してもらったんです。 同世代との刺激を求めて上京を決意。 ーまだ17歳だったんですね!? 編集者の方やカメラマンさんは30代で、読者モデルの仲間は7歳以上も年上でした。先輩ばかりの現場も楽しかったんですが、全国誌の『メンズノンノ』や『TUNE』、『チョキチョキ』を読むと、同年代がいっぱい載っていて驚いたんです。「そいつらと一緒に戦ってみたい」と感じたのが、東京に出ようと思ったきっかけですね。 ー大阪の美容学校を経由せず、高校卒業後に東京に出ようと。 ファッションが尖っていたから、高校時代は周りから変人扱いというかバカによくされていたんです。ファッションの話をするのも刺激を受けるのも全員先輩ばかりで。いつかは同世代で分かり合える仲間が欲しいと思っていたので、それだと東京になるべく早く行くのが良いのかなと思ったんです。 ーご両親は上京することに賛成だったんですか? それが両親の後押しもあったんですよ。父は関西の美容学校を卒業して神戸の美容室に就職したんですが、本当は東京に行きたかったみたいで。なので、東京に行くことに関しては大賛成でした。むしろ、お互いがいつかは上京するもんやって思っていたほど。「関西代表でやってるぞ!」、「東京で有名な美容師になるぞ!」との意気込みを持って東京に行きましたね。 価値観が共有できる仲間と過ごした充実の学生生活。 ーその中でも母校の日本美容専門学校を選んだ理由は? 親の推薦もあったんですが、先ほど言った雑誌に同世代が網羅するように載っていたのが日美(日本美容専門学校の愛称)だったんです。 ー学生時代の2年間は想像通りの生活でしたか? 本当に楽しかった2年間でしたし、やっぱり友達との出会いは大きかったですね。僕のように雑誌に影響を受けた学生が通う学校で、例えば僕が関西代表なら、今でもよく遊ぶ友達が長野代表と、日本全国から洋服好きが集まっていたんです。初めて尊敬し合ってファッションの話が対等にできる仲間と出会えました。本当に想像通りの学生生活でしたね。 ー人だけでなく東京の街も刺激を受けましたか? 日本だけじゃなくて世界中から色々な人が集まる都市じゃないですか。上京した当時は街を歩くだけでオシャレな人を目の当たりにして刺激を受けましたし、スタイリストとしてデビューしてからは僕の美容技術を通じて、人と価値観が共有できる環境に感謝しています。例えば友達であるアーティストのMVでヘアメイクとして参加するって、関西ではなかなか味わえないと思いますし。今までは読者モデルとして出る側だった自分が、裏方になって一つのものを作り上げるかけがえのない経験もさせてもらっています。 雑誌デビューを果たした中学生時代から友人と有意義に過ごした専門学生の頃まで、順風満帆なライフスタイルを送ってきたHARUTOさん。 学校卒業後に入社した『DaB』で人生で初めての挫折を味わうことになります。 【後編】では、憧れのサロンで感じたスキル不足と、それを乗り越えた経緯、憧れの人物、さらには理想の美容師像について語っていただきます。 <PROFILE> DaB スタイリスト HARUTOさん 生まれも育ちも神戸市の25歳。中学1年生時の若干15歳で関西のファッション誌『カジカジ(現在は休刊)』にスナップ企画で登場し、その後は同誌の読者モデルとして活躍。高校を卒業後に上京して日本美容専門学校を経て、都内に4店舗を構える人気ヘアサロン『DaB』に入社。約4年間、アシスタントとして研鑽を磨き、2022年にスタイリストとしてデビューした。現在は日々のサロンワークだけでなく、アーティストのMVでヘアメイクとして参加したり、後輩の人材育成に尽力したりと忙しい日々を過ごす。 Instagram:@haruto_0210 <SALON DATA> DaB MIX/ダブ ミックス 東京都渋谷区猿楽町28-11 ネスト代官山2F HP : https://dab.co.jp Instagram:@dab_hair