シーンの第一線で活躍するDaBのHARUTOさんに聞く「東京で働くこと」【後編】
最先端の街、東京。日本の情報発信基地に憧れ、生まれ育った関西から東京の街へと上京した『DaB』のHARUTOさん。美容のトップシーンで活躍するHARUTOさんに、東京で働くことのおもしろさをインタビューします。 東京での華々しく刺激的な学生時代を経たHARUTOさん。 【後編】は彼が『DaB』入社後に感じた力不足と、逆境を乗り越えてスタイリストとして活躍する現在、そして未来の美容師像について語ってもらいました。 →【前編】はこちら 理想のサロンに入社してコンテストで優勝。 ー数ある東京のサロンの中でも『DaB』を選んだ理由は? 『DaB』に入社したのも親の影響があったんです。中学の頃に父と初めて東京に二人旅をしたとき、「DaBで髪切りに行ってこい」って言われて。父が東京で働きたかったと言ったじゃないですか。その中でも『DaB』の代表をとても尊敬していたそうで、もし生まれ変わったらここで働きたいと思っていたそうなんです。父に予約を取ってもらってひとりで髪を切りに行きました。当時、僕は「オシャレだな~」くらいしか感じなかったのですが、いざ自分自身が就職活動をするときにいろんなサロンを見ようと都内のお店を巡ったのですが真っ先に訪れたのが『DaB』でした。 ーそのときの記憶があったからなんですね。 そうなんです。担当してくれたスタイリストがニチビ(日本美容専門学校の愛称)の先輩だったからか、とても会話が弾んだんです。そのときにフッと自分が働いているイメージが湧いてきて、「やっぱり働くならDaBしかない」と思ったんです。代表は美容業界で有名な方ですし、スタイリストのみなさんの技術もセンスも素晴らしいし、そこからは基本的に『DaB』一本で就活しました。 ーとはいえ人気サロンだけに入社するには狭き門ですよね? 後から聞いた話なんですが、僕が入社できたのは特別枠的な感じだったんです。学生時代に『メンズノンノ』や『チョキチョキ』に載せてもらっていたので、『DaB』でも“日美のイケてるヤツ”で通ってて。関西在住時に経験した『カジカジ』での読者モデル、親の教育のおかげで、自分自身にオーラが出ていたんじゃないかと自信に満ちあふれていました。その後に入社して半年後に「アリミノフューチャーズロード」というコンテストのアンダー25部門に出たら優勝しちゃって。無料でロンドンの旅も経験できたんです。 ーまさに美容師として最高の門出じゃないですか! そこからが人生で初めての屈辱を味わうことになるんです。手先が起用じゃないうえに気遣いもできず、同期とレッスンに取り組んでも自分だけ置いてけぼり、僕がサロンワークに入ると仕事ができないのでスタイリストに嫌がられ……。何もできないポンコツだったんです。本当にしんどかった4年間でしたね。 代表の下で働くことでスキルを得てスタイリストに。 ーでも辞めることなく今まで頑張ってきたんですね。 親の教育として一度決めたことは、自分が認めるところまで到達しないと途中離脱できなかったんです。それと入社2年目から代表の八木岡(聡氏)に付いて働き始めたのも大きかったですね。美容師としての所作を代表に教えてもらったり、代表のお客さんに支えてもらったりと、途中で辞めてみなさんを裏切るなんて一度も考えたことはなかったです。 ーそのどん底時代から脱却したんですね。 スタイリストとして活動する今もしんどいことは多々ありますが、現在は違うステージに上がれたのかなと思っています。デビューしたのが2022年の7月で、技術面ではようやく自分のスキルが花開いたのかなと感じていて。 ーHARUTOさんが得意とするスタイルを教えてください。 同世代では一番と言い切れるほどストレートパーマには自信があります。ただ髪を伸ばすだけじゃなくて、クセを取り除きながら丸みを作るようにかけたり、ショートやボブにも取り入れたりと、毎日の生活の中で寝癖が付きにくく、乾かすだけでスタイルが決まるように仕上げます。今までのストレートパーマと印象がまったく異なるのがおもしろいんですよ。 目指すはDaBの代表。美容師の地位向上を目指す。 ー現在、取り組んでいることはありますか? 美容のスキルについては常にアップデートしようと心掛けています。例えば、休日に著名な建築物を見に行ったり、アートを鑑賞したり。「建築ならこの角度で直線や曲線が入るのはなぜなのか?」、「アートならこの色使いはヘアスタイルにも活かせられるのでは?」と、デザインされているものに関して、どのような意図があったのかを探るようにしています。些細なことですが、そのバックボーンが美容に活かせられるときがあるので。 ー尊敬する美容師は? 理想はやっぱりウチの代表ですね。八木岡はイス・シザー・ワゴンといったサロンワークに必要なものだけでなく、生活空間を彩るような家具もデザインするんです。そんな方の下で4年間も働かせてもらい、自分自身もかなり視野が広がりましたね。“美容業界に影響をどう与えるか”を大切にしていて、常に他人のためにどう役に立てるかを考えているんです。美容師の地位向上を目指す姿に憧れていますね。 ー最後に今後の目標を教えてください。 代表のように美容業界に影響を与えられる人材になることですね。美容師って職人でもあるし、エンターテイナーでもあるし、クリエイターでもあるじゃないですか。それなのに職業のヒエラルキー的に低く見られるときがあります。社会的地位の低さをどのように上げていくかが、自分自身が取り組むべきことじゃないかと。僕の中で美容師って医者と同じような職業だと考えています。髪の毛という身体の一部を任せられるというのは、仕事をする上でとても価値があるものだと思っているので。 <PROFILE> DaB スタイリスト HARUTOさん 生まれも育ちも神戸市の25歳。中学1年生時の若干15歳で関西のファッション誌『カジカジ(現在は廃刊)』にスナップ企画で登場し、その後は同誌の読者モデルとして活躍。高校を卒業後に上京して日本美容専門学校を経て、都内に4店舗を構える人気ヘアサロン『DaB』に入社。約4年間、アシスタントとして研鑽を磨き、2022年にスタイリストとしてデビューした。現在は日々のサロンワークだけでなく、アーティストのMVでヘアメイクとして参加したり、後輩の人材育成に尽力したりと忙しい日々を過ごす。 Instagram:@haruto_0210 <SALON DATA> DaB MIX/ダブ ミックス 東京都渋谷区猿楽町28-11 ネスト代官山2F HP : https://dab.co.jp Instagram:@dab_hair
シーンの第一線で活躍するDaBのHARUTOさんに聞く「東京で働くこと」【前編】
今も昔もビジネスだけでなく、ファッションもカルチャーも美容も最先端の東京。 日本の情報発信基地に憧れ、生まれ育った関西から東京の街で働いているのが『DaB』のHARUTOさんです。 学生時代はファッション誌の読者モデルとして感性を磨き、高校を出てから右も左も分からない東京へ。専門学校で出会った同じ趣味趣向を持った仲間と過ごし、卒業後には憧れの人気ヘアサロンに入社。そこで人生で初となる挫折を味わい、そのどん底からはい上がって現在はスタイリストとしてサロンワークに取り組んでいます。 今回は、美容のトップシーンで活躍するHARUTOさんに、東京で働くことのおもしろさについてインタビュー。 【前編】は彼のバックボーンや上京した理由、2年間の学生生活に迫ります。 服好きが高じてファッション誌の読者モデルに。 ーまずは美容師になろうと思ったきっかけは? 神戸でヘアサロンを営んでいる両親の背中を幼少から眺め、純粋に「カッコいい」と思ったのが目指した理由ですね。親からは「美容師になれ」と言われたは一度もなかったんです。小学2年の頃には漠然と美容師を志していましたね。その頃の授業で将来の夢を考える時間があり、汚い字で「美容師」と書いた色紙が今でも実家に飾っています。 ーファッションに興味を持ったのもご両親の影響ですか? 完全に服好きの父と母の影響で、物心が付いた頃にはファッションに興味を持っていましたね。中学に入る頃には「楽園」や「トロワ」、「クラウンマーケット」など、神戸の古着屋に足繁く通っていました。その時期から買い物しているそのショップの人たちとは今でも繋がっています。 ー初めてファッション誌にスナップされたのは中学生の頃ですよね? そうなんです。関西にかつて『カジカジ』っていうファッション誌があったんですが、僕が初めてスナップ企画で写真を撮ってもらったのが中学3年の頃。そのときは父のコム・デ・ギャルソンのセットアップを着て載せてもらいました。年に2回あるスナップ企画にはずっと出してもらっていて、高校2年になって『カジカジ』の読者モデルに起用してもらったんです。 同世代との刺激を求めて上京を決意。 ーまだ17歳だったんですね!? 編集者の方やカメラマンさんは30代で、読者モデルの仲間は7歳以上も年上でした。先輩ばかりの現場も楽しかったんですが、全国誌の『メンズノンノ』や『TUNE』、『チョキチョキ』を読むと、同年代がいっぱい載っていて驚いたんです。「そいつらと一緒に戦ってみたい」と感じたのが、東京に出ようと思ったきっかけですね。 ー大阪の美容学校を経由せず、高校卒業後に東京に出ようと。 ファッションが尖っていたから、高校時代は周りから変人扱いというかバカによくされていたんです。ファッションの話をするのも刺激を受けるのも全員先輩ばかりで。いつかは同世代で分かり合える仲間が欲しいと思っていたので、それだと東京になるべく早く行くのが良いのかなと思ったんです。 ーご両親は上京することに賛成だったんですか? それが両親の後押しもあったんですよ。父は関西の美容学校を卒業して神戸の美容室に就職したんですが、本当は東京に行きたかったみたいで。なので、東京に行くことに関しては大賛成でした。むしろ、お互いがいつかは上京するもんやって思っていたほど。「関西代表でやってるぞ!」、「東京で有名な美容師になるぞ!」との意気込みを持って東京に行きましたね。 価値観が共有できる仲間と過ごした充実の学生生活。 ーその中でも母校の日本美容専門学校を選んだ理由は? 親の推薦もあったんですが、先ほど言った雑誌に同世代が網羅するように載っていたのが日美(日本美容専門学校の愛称)だったんです。 ー学生時代の2年間は想像通りの生活でしたか? 本当に楽しかった2年間でしたし、やっぱり友達との出会いは大きかったですね。僕のように雑誌に影響を受けた学生が通う学校で、例えば僕が関西代表なら、今でもよく遊ぶ友達が長野代表と、日本全国から洋服好きが集まっていたんです。初めて尊敬し合ってファッションの話が対等にできる仲間と出会えました。本当に想像通りの学生生活でしたね。 ー人だけでなく東京の街も刺激を受けましたか? 日本だけじゃなくて世界中から色々な人が集まる都市じゃないですか。上京した当時は街を歩くだけでオシャレな人を目の当たりにして刺激を受けましたし、スタイリストとしてデビューしてからは僕の美容技術を通じて、人と価値観が共有できる環境に感謝しています。例えば友達であるアーティストのMVでヘアメイクとして参加するって、関西ではなかなか味わえないと思いますし。今までは読者モデルとして出る側だった自分が、裏方になって一つのものを作り上げるかけがえのない経験もさせてもらっています。 雑誌デビューを果たした中学生時代から友人と有意義に過ごした専門学生の頃まで、順風満帆なライフスタイルを送ってきたHARUTOさん。 学校卒業後に入社した『DaB』で人生で初めての挫折を味わうことになります。 【後編】では、憧れのサロンで感じたスキル不足と、それを乗り越えた経緯、憧れの人物、さらには理想の美容師像について語っていただきます。 <PROFILE> DaB スタイリスト HARUTOさん 生まれも育ちも神戸市の25歳。中学1年生時の若干15歳で関西のファッション誌『カジカジ(現在は休刊)』にスナップ企画で登場し、その後は同誌の読者モデルとして活躍。高校を卒業後に上京して日本美容専門学校を経て、都内に4店舗を構える人気ヘアサロン『DaB』に入社。約4年間、アシスタントとして研鑽を磨き、2022年にスタイリストとしてデビューした。現在は日々のサロンワークだけでなく、アーティストのMVでヘアメイクとして参加したり、後輩の人材育成に尽力したりと忙しい日々を過ごす。 Instagram:@haruto_0210 <SALON DATA> DaB MIX/ダブ ミックス 東京都渋谷区猿楽町28-11 ネスト代官山2F HP : https://dab.co.jp Instagram:@dab_hair