
グローバルな美の新標準。新しい世界へ挑戦するヘアサロン『LIM』
今や海外にもその名を轟かす、大阪発のサロン『LIM(リム)』。東京進出、そしてグローバル展開と、数々のプロジェクトを成功に導いてきたのが、現在LIMの海外統括責任者を務めるカンタロウさんです。日本と海外を行き来する生活を15年以上続ける彼の目に、各地のサロンや美容師はどう写っているのでしょうか。カンタロウさんの言葉には、国境を超えて活躍するためのヒントが詰まっていました。(この記事は2024年5月掲載時点の内容です) 海外に出て気づいた、日本人への期待値 ─LIMにとって初めての海外進出となったのが、2009年のシンガポール店のオープンでした。いきさつを教えてください。 「僕自身のことから話すと、福岡出身で実家は明太子屋さんです。美容師になってからも、いつかは家業を継ぐという意識はありました。28歳のころ、父が余命宣告を受け亡くなったのですが、結果として美容師を続ける道を選んだんです。オヤジの願いを断ってまでやるんだから、とギアを入れ直し、東京進出に打ち込みました。成功と言えるところまでいったなと思い、墓前で手を合わせオヤジに報告したのですが「ここがゴールなのか?」と違和感があって。国内でお店を出して成功させることは、同じファミコンのカセットを何回もやって、攻略しているような感覚になっていました。ゼロからサクセスをつかむ、という方が性に合っていたのか、海外を目指すようになっていました。実は、はじめはシンガポールという予定ではありませんでした。国ごとのルールの違いや、人のつながりもあり、シンガポールになったという流れです」 ─海外展開して気づいた、日本との違いはありますか? 「日本人美容師に対する評価や期待値が高いと感じました。特にはじめのころは“お任せ”で来られるお客さんが多かったです。施術後に“これでいいですか?”と確認すると、逆に“あなたが良いと思う形にしてほしいから任せたんだけど?”と言われることもありました」 現地の文化にフィットしながら最適解を探る ─文化やトレンドの違いは感じますか? 「まず文化より前にあるのは、気候の違いです。常夏で湿気が多い土地では、コテでセットしてもすぐに崩れてしまいます。しかもシャンプーを毎日しないとか、生活スタイルも違います。次にトレンドですが、SNSが広まった今は場所を問わず同時的に広がっていると感じます。スマホを見せられて「これにしたい」とはっきり要求されることが増えました。写っているモデルは日本、韓国、欧米といろいろ。日本人が見本ならかわいい雰囲気、韓国ならきれい、セクシーなど求められるスタイルも幅があります」 Hair:Tomoya(@tomoyaiizawa) ─スタッフとのコミュニケーションや人材育成でも、日本と異なる点はありますか? 「自分が経験してきたストイックなやり方では、人が続かないのだと分かりました。働くことへの考え方だけでなく、スクールのカリキュラムが国ごとに違うことも大きいですね。少しずつ現地に合わせ、教育の仕方を変えてきました。ただ、ずっと大切にしてきた「目の前のお客さまを満足させる、幸せにする」という思いは、彼らにもすぐ伝わります。本人が上手くなりたいと思ったら、学び方が変わります。しかも、情報の読み取り方も自然と深くなる。そこは日本も海外も同じです」 「闘いに行く」姿勢を持って ─今後の展望を聞かせてください。 「“日本から来たサロン”というイメージを消していきたいと思っています。ローカルの目線で評価されてこそ意味があると思っているので。あとは、スタッフのやりたいことを応援したいと思っています。シンガポールに出店してからは、海外を目指して入ってくる子も増えました。あのころボスが僕にチャンスをくれたように、今度は(後輩に)返していく番だと思っています」 ─世界での活躍を目指す美容師や学生に向けて、メッセージをお願いします。 「“若いうちに海外に出た方がいい”と言う人は多いし、間違いではないと思います。それでもまずは、日本の中で基本の技術をマスターすることをお勧めしたいです。例えば25歳までにとか、目標を持ってベーシックを身につけて、外に出た方が強い。日本の技術はトップレベルですから。実力を手に入れてから出た方が、闘いやすいんです。“学びに”ではなく“闘いに行く”スタンスを持ってほしい。日本の技術を輸出し、見せつけるような美容師になってほしいと願っています」 常に前を向くスタンスで、メイド・イン・ジャパンの誇りを持って闘い続けてきたカンタロウさんの話は深く響きますね。海外への憧れから希望を持つことは素晴らしいことですが、まずは今いる場所で挑戦することの大切さを再確認しました。 カンタロウ LIM OOO(Oversea Opportunity Officer = 海外統括責任者) Instagram:@kantaro0427 福岡県北九州市出身。高校を卒業後、美容師を目指して大阪へ。1996年に有限会社LESS IS MORE (LIM) に入社し、20代にして人材育成や国内外の店舗展開に携わる。コロナ禍を機にセミリタイヤを経るも情熱はやまず、後進の指導やプロデュース業、さらにサロンワークも継続している。 <SALON DATA> KIZUKI +LIM/キズキ プラスリム 31 Seah Street Singapore 188387 Instagram:@kizuki_lim TOKI +LIM/トキ プラスリム 328 North Bridge Road #02-33 Raffles Hotel Arcade Singapore 188719 Instagram:@toki_lim mimi +LIM/ミミ プラスリム 103 台北市大同區赤峰街47巷3號2樓 Instagram:@lim_taiwan MILK +LIM/ミルク プラスリム 200021 上海黄浦区湖滨路168号无限 Instagram:@milk_lim_shanghai

アジュバン×ヴェールルージュ 産学連携リレーションシップに密着
サロン専売化粧品メーカーである株式会社アジュバンコスメジャパンと大阪のヴェールルージュ美容専門学校と産学連携プロジェクトに密着しました!

MY CULTURE #33 小髙真理/〈ODAKHA〉デザイナー
スタイルのある女性に聞く 愛しのカルチャーヒストリー マイスタイルを謳歌する“INDEPENDENT GIRL”に、自身のアイデンティティに強い影響を与えられたカルチャーについて話を聞く連載コンテンツ。 第33回目は、ファッションブランド〈ODAKHA〉のデザイナー小髙真理さんに、T.Rexの3rdアルバムやゴダールによるSF映画、ベルギー人アーティストのパナマレンコの展示会カタログを紹介してもらった。 PHOTO_Shunsuke Kondo TEXT_Mikiko Ichitani EDIT_Yoshio Horikawa (PERK) PROFILE Mari Odaka 小髙真理 文化ファッション大学院大学卒業。アパレルメーカーでニットデザイナーとして経験を積んだあと、2014年に自身のブランド〈malamute〉を設立。21年「東京ファッションアワード 2022」を受賞。23年秋冬シーズンよりブランド名を〈ODAKHA〉に変更し、よりグローバルに向けてクリエイションを続ける。 @odakha_official @odaka_mari 勇気や刺激を与えてくれる 音楽や映画、アートのチカラ 学生時代からビートルズやデヴィッド・ボウイといった60年代、70年代を中心としたUKロックシーンが好きだったという小髙さん。今回用意してもらったT.Rexの名盤『The Slider』は、音楽性はもちろん、ジャケットのグラフィックにも強い衝撃を受けたのだそう。 MY CULTURE #33 小髙真理/〈ODAKHA〉デザイナーの記事の続きはこちら FASHION & CULTURE MEDIA for “INDEPENDENT GIRL” 『PERK』は2019年までの定期刊行の紙の雑誌から、20年春より“INDEPENDENT GIRL”をコンセプトにデジタルメディアとしてリスタートしました。自立心を高めながら、クリエイティブに、アクティブに日々を謳歌する。そんな“INDEPENDENT GIRL”に向けたファッションはもちろん、周辺のカルチャーにもフォーカスした多彩なコンテンツをお届けします。 WEB:https://perk-magazine.com Instagram:@perkmagazine YouTube:PERK magazine @perkmagazine1436

セミナー公演などの実績多数! 京都のカリスマ美容師・TONOさんとは?
ホスト業界のイメージを一新したあの方を彷彿とさせる、カリスマ美容師が存在するという噂を聞きつけ京都に…。そこにいたのは、数々の輝かしい実績を引っ提げて、メディア出演やセミナー開催などを積極的に行う、京都を代表するスタイリストのTONOさん。 一体どんな人物なのか、特別にインタビューをさせていただきました!(この記事は2024年3月掲載時点の内容です) 〈PROFILE〉 LOVEST KYOTO / スタイリスト TONOさん 滋賀県出身。顧客には著名人も多く、月間最高売上300万円という記録を誇る、LOVEST KYOTOのトップスタイリスト。さまざまな番組や世界的ヘアカタログをはじめ、多数のメディアへも出演。自身のブランディングにこだわり、そのノウハウを全国の美容師に伝えるべく、セミナー公演なども実施している。近年では、日本初のお寺でのヘアカットPVが話題を呼んだ。 Instagram:@official_tono 〈SALON DATA〉 LOVEST KYOTO 京都府京都市下京区河原町通順風町309 中村ビル2F Instagram:@lovest_kyoto ――まずは自己紹介 LOVEST KYOTOのTONOと申します。3世代に渡るお客様など生涯顧客が多く、お客様を飽きさせないことを強みとしている、京都のハイパー美容師です。 ――座右の銘や大切にしている言葉はありますか? ありません。生み出す側なんで。 ――美容師を目指した理由 美容業界がTONOを呼んでいたからです。 当時10歳の時に初めて訪れた美容室に、心を動かされたんです。その日までは近くの床屋にお任せしていた、「伸びた髪を切る」という作業が一変。「内面からかっこよくなれた」と感動した、その衝撃を今でも覚えています。ただ伸びた分を切るのではなく、まだ見ぬ自分の姿を提案してくれたり、その時々に響く言葉をかけてくれたりと、仕事としての奥深さに魅了され、今のTONOが存在します。 ――美容師としての面白さ 毎日たくさんの人と出会うことで、日々成長ができるということですね。一見同じようなことをしていても、出会う人が違えば受ける刺激も異なります。毎日新しいことに挑戦しているようで、ワクワクしますよ。僕、明日に向かって生きてるんで。 ――美容師としてのこだわり 自身のブランディングはもちろんですが、接客時にデザインとケアの提案は欠かしません。 「今日はどうしましょう?」ではなく、「春なんでこんなスタイルどうですか?」「似合うと思ってこんなイメージを持ってきました!」という風に、まずはこちらから提案をする。「私のために考えてくれたんだ」という特別感を演出するようにしています。そうやって信頼関係を作ることで、「TONOさんが言うなら……」となるんです。大事なのは何を言うかではなく、誰が言うか。これが売り上げを伸ばす上でも重要です。 ――これまでにぶつかった壁 実は今もですが、常に壁にぶつかっています。まっすぐ歩けているから、正面から壁にぶつかれる。そう考えると、これまでの道のりは正しかったんだなと思います。 特に大きかった壁は、スタイリスト昇格時にありました。当時、そのままでも問題はなかったのですが、美容師として登り詰めるにはキャラクターが少し弱かったんです。「お客様の印象に残らなければ、通ってもらえない」と考え、本気で自身のブランディングに着手しました。それからは結果がついてきましたね。 僕、あの人に似てますよね? 正解なんですよ。皆は中途半端に取り入れるものを、僕は堂々と徹底的にパクる。パクってパクって真髄を得てから、自分の色を出して切り離す。そうすれば、目標とした方を越えられる可能性を秘めた自分が生まれると考えています。 ――夢やビジョン 同じ夢を抱き続けるのは、結末を知っている映画を観るようなものだと思います。「何が起こるかわからない」そんな刺激を味わい続けたいので、夢や目標は通過点として、その時々で変えるようにしています。 今の夢は“美容師の社会的地位向上”。希望に満ち溢れた新しい世代の美容師たちが、「職業は美容師です!」と胸を張って言えるように、業界全体を盛り上げたいと思っています。そのためにも今は、身近な若手スタッフの育成に力を入れています。 今回のインタビューを経て、TONOさんについてさらに知りたくなった編集部は、追加インタビューを決定! AM-YUでは、TONOさんの魅力をまとめたプロモーション動画も作成しているので、興味のある方はそちらもご確認ください。 次回はTONOさんがセミナーでも話されたという、目指す美容師像を具現化するために作った、「TONO流 7つのルール」についてお聞きします。お楽しみに!

t.a.g 仲地さんの美容道
「あなたらしさって何ですか?」 この問いに、あなたはすぐ答えられますか?その人が得意とするテクニックを切り口に、美容師というお仕事をするうえで大切にしていることやポリシーを紐解き、自分らしさを磨くためのノウハウや考え方をお伺いします。 今回は、カラーに特化したヘアサロン『t.a.g』のオーナーである仲地龍太さんです。(この記事は2024年7月掲載時点の内容です) >> 動画はコチラ ー仲地さんが美容師を目指したきっかけは? 「きっかけは、高校生の時に担当してもらった美容師さんがかっこよかったっていうシンプルな理由です。その美容室に入店した時、荷物を預かってくれるというサービスが初めてだったので感動して。それで美容師になろうと思いました」 ー特殊な経歴をお持ちとお聞きしましたが…。 「そうなんです。実は左官業をしていたことがあります。あのコンクリートを滑らかにする建設業の…」 ーなかなかそんな過去をお持ちの美容師さんはいないですよね! 「高校生の時、大学に進学したかったんですが、兄弟が5人いるので経済的に難しくて。もちろん美容学校もダメ。それなら美容学校なら通信制があるので働きながら通えるなと思い、左官業をして働いてお金を貯め入学し、サロンに就職して働きながら学校へ通いました」 ー今回はダブルカラー+エンドカラーというデザイン性の高い施術を実際に披露していただきました。仲地さん的ポイントは? 「ブリーチですね。モデルさんがすでにブリーチ毛で、根元の方が黒くなっているのでまず先にレタッチ。体温の影響で地肌に近いところがすごい明るくなりやすいんですが、根元1cm、 2cm~3cm、3cm以降と段階的に明るくなりやすいので、それを計算しながら塗り分けていくのが、一番時間がかかるところでした」 ー仲地さんはインスタグラムでも「ハイライトの神」と自らを表現されていますが、今回のようなダブルカラーやハイトーンカラーが得意なのでしょうか? 「t.a.gはカラーに特化したヘアサロン。僕はハイライトを売りにしていて、他のスタッフもバレイヤージュやミルクティベージュ、ルーツカラー、派手髪などそれぞれの売りのテクニックを持っています」 ーそうなんですね!仲地さんがハイライトを売りにしたきっかけは何だったんでしょう? 「当時ハイライトが流行っていて、どこかの美容師さんが載せてるハイライトがすごい好きだったんです。それをできるようになりたいなって、職場のみんなで研究していたんです。僕自身はそこまでガチでやろうとは思ってなかったんですけど、スタッフがやってほしいですと言うので、じゃあちょっとやってみようと思ってやってみたら、できるようになったという感じです」 ースタッフのリクエストに応えてやりはじめたと。 「そうですね(笑)」 ーハイライトもそうですし、今回のようなハイトーンやデザインカラーの時に気をつけていることはありますか? 「まずはダメージを極力少なくすることです。ブリーチやカラーをする以上、ダメージは絶対あるんですが、それをいかに減らせるかです。そのためにケア剤も導入しますし、塗り分けが大切になってきます」 ー他には…? 「似合うか似合わないかを、必ずお伝えするようにしてます」 ーなるほど!似合わない時ははっきり言いますか? 「はっきりとは言わないです(笑)。僕はまずはお客さまがやりたいことを受け入れたいです。その上で、他の方の例をあげてリスクを提示したり別の提案をして、最終的に納得のいくゴールを見つけていきます。なのでカウンセリングは長い方だと1時間かけることもあります」 ーカウンセリングに1時間ですか!すごい。 「やりたいカラーを今の髪にするとどんなリスクがあるかということだったり。それに、ハイライトって人によると白髪みたいに見えてしまう場合もあるんです。なのでその人の友人関係やキャラクターを考慮したうえで、このカラーにしたらどう突っ込まれるか…なんてこともイメージしながら決めていきます。もちろん、その人が帰った後にできるスタイルになるようにしています」 ー仲地さんがカラースタイルを極めていく中で、ともに磨かれたスキルはあったりしますか? 「観察力ですかね…?お客さまの髪やファッションはもちろん、話していくとニュアンスでこれはやりたくないだろうなとか、いいですよって言ってるけど、そこに含まれているわだかまりがある感じを察するようになったというか」 ーずばり、仲地さんの美容師としてのポリシーって何でしょうか? 「ダサいこと。人間鈍臭いところがあってもいいって思うし、失敗したことを隠さず素直に伝えることが大事だと思います。カラーってなかなか思っているように出ないこともあるんです。その時に、『めっちゃいいです!』なんて言わないです。正直に伝えて、お直しも提案させていただきます」 ー落ち込んだりイラッとした時はどう乗り越えていますか? 「イラッとしたときの考え方があって。基本的に人を嫌いになるのは、自分が育ってきた環境で大切にしていることを侵されるからなんです。だから他人の考え方や育ってきた環境が違うと理解したら、自分がイラッとしているだけで、その人は悪くないんだと思えるようになるんです」 ーすばらしい考え方ですね!ちなみに、SNSはどのように活用していますか? 「SNSは信頼度UPのためです。今はスタイルをほぼ載せず、僕の考え方やどういうふうなプロセスでお客さまに寄り添っていくかというカウンセリングのしかたなど、スタイルをつくる上で大切にしていることを乗せるようにしています」 ーちなみにInstagramに載せてらっしゃるゴリライトというのは!? 「僕ゴリラって呼ばれてたので、自分がつくるコントラストがついた立体的なカラーのことをそう命名しました(笑)」 華やかなデザインカラーを作り出す仲地さん。話すととても気さくで、柔らかな人柄にギャップがある、美容師としても人としても魅力的な方でした。テクニカルなカラーの裏には、経験で培った成功術が隠されている。そんなことに気づかされました。 仲地龍太 t.a.g オーナー Instagram : @t.a.g_ryuta tiktok : @ryuta0610 経歴 : 高校卒業後、左官業をしながら資金を貯め、大阪美容専門学校(通信制)へ入学。同時に某サロンへ入社。スタイリストデビューしたのち別サロンを経て独立し、『t.a.g』を共同経営としてオープンさせる。 <SALON DATA> t.a.g/タグ HP : https://tag-osaka.com Instagram : @t.a.g_color_hair

MY CULTURE #32 KAZUKI/アーティスト
スタイルのある女性に聞く 愛しのカルチャーヒストリー マイスタイルを謳歌する“INDEPENDENT GIRL”に、自身のアイデンティティに強い影響を与えられたカルチャーを紹介してもらう連載コンテンツ。 今月は東京を拠点にアーティストやアートディレクターとして活躍するKAZUKIさんに、2004年公開のラブロマンス『きみに読む物語』、宇多田ヒカルのデビューシングル「time will tell」、さらに谷川俊太郎の詩集について話を聞いた。 PHOTO_Shunsuke Kondo TEXT_Mikiko Ichitani EDIT_Yoshio Horikawa (PERK) ROFILE KAZUKI クリエイターに囲まれて育ち、物心ついた時から絵を描き始める。ニューヨークなどへの留学経験を経て独学でアートを学び、近年では音楽やファッション、ビューティ関連のアートワークを手がけ、カフェやホテルなどの空間へもアブストラクトなアート作品を提供している。独特で豊かな色彩感覚と、自由で大胆かつボーダレスな表現が最大の魅力。アートディレクターやスタイリストとしても活動の幅を広げている。 @kazukiyon @artkazuki あの時の私と、 今の私を照らすもの 高校生の頃、カナダに留学していたKAZUKIさん。コンビニもスーパーもなく、あるのは大きな湖とDVDショップくらい。休日は散歩や映画を観て過ごしていたという彼女が、その時期に出合った映画『きみに読む物語(原題:THE NOTEBOOK)』は、語学の勉強も兼ねて何度も観返したお気に入りの一本なのだそう。 MY CULTURE #32 KAZUKI/アーティストの記事の続きはこちら FASHION & CULTURE MEDIA for “INDEPENDENT GIRL” 『PERK』は2019年までの定期刊行の紙の雑誌から、20年春より“INDEPENDENT GIRL”をコンセプトにデジタルメディアとしてリスタートしました。自立心を高めながら、クリエイティブに、アクティブに日々を謳歌する。そんな“INDEPENDENT GIRL”に向けたファッションはもちろん、周辺のカルチャーにもフォーカスした多彩なコンテンツをお届けします。 WEB:https://perk-magazine.com Instagram:@perkmagazine YouTube:PERK magazine @perkmagazine1436

MY RULE【KIPI 早瀬 忍さん】逆張りではじめたレイヤーを極めてわかったこと
自分らしさってなんだろう。多様性のこの時代をサバイブするための、個性の見つけ方やスキルの磨き方術を伺います。 今回は、KIPI代表の早瀬 忍さん。レイヤースタイルの代名詞であるウルフを、流行する前に推そうと決めたきっかけや、そこから今につながっていることを聞きました。(この記事は2024年7月掲載時点での内容です) ウルフを習得するまで重ねた努力はそこ知れず ―単刀直入に、早瀬さんといえばウルフカットというイメージがあるのですが、ご自身としてはいかがでしょうか? 「今はめちゃくちゃ推しているわけではないのですが…(笑)、ブームになる前からウルフカットに力をいれていたのは事実です。というのも数年前に切りっぱなしボブが大流行した時代があったんです。日本中の女の子がそのスタイル。正直つまらないなって思いました。そこで逆張りで、ウルフといったレイヤーカットの練習をはじめたんです」 ―つまり、誰もやってないということですよね。どのようにスタイルを勉強したんでしょうか? 「カットの基礎的なことは当時働いていたサロンで教わったんですが、いいなと思うスタイルは海外のモード誌やファッションショーなどを見て、どう再現するんだろうってウィッグで練習を重ねました。実は僕、すごく不器用なんです。なので、他の人の何倍も練習しましたね」 「直感よりも理論的思考タイプ。技術を身につけるには、頭の中でカットの展開図が引けるくらいまで練習をするしかなかったんです。ここまでやったおかげで、『毛先のここを軽くしているので、こう巻くといい』というようにお客さまに理論的な説明ができるようになりました」 ―たくさんの努力で技術をものにされたんですね。長い間練習を続けてこられたモチベーションはなんでしょうか? 「負けず嫌いなんです。むしろ、それしかないです。勉強してみてわかったんですが、レイヤーって、入ることで髪がとても扱いやすくなるんです。多毛も癖っ毛も、動かすだけでおしゃれに見える。レイヤーを入れた方が生活が豊かになる人は多いはず、だから絶対に技術をものにしたいと思いました」 早瀬さんのレイヤースタイルコレクション 経営者として目指すのは“技術のスペシャリスト集団” ―早瀬さんは現在、お店の代表をされていますよね。後輩へはどんな指導をされているんでしょうか? 「はじめのうちは、ひとつ得意なことを伸ばすための努力をしていこうねと伝えています。つまり、それぞれのスタッフが極めたスキルを持っている、そんな『技術のスペシャリスト集団』を目指しているんです」 ―誰かが極めた技術や上達のコツを他の方に教えていってというのができるから、全体のスキルアップが早そうです。早瀬さんが編み出されたレイヤーカットのコツなんかもスタッフの方に伝授されているんでしょうか? 「もちろんです!新人の子がやっても上手くできる確実なカットの仕方や僕なりのノウハウはあるんです。でもここでは秘密にさせてください(笑)。ハサミは、僕は早く切りたいので長いものをよく使いますね」 ―なるほど。最後にこれからの目標を教えてください。 「レイヤーカットを推さなくなった。わけではないのですが、メンズカットに一層力をいれていきたいと思っています。街で見かけて『おしゃれな子だな~』と思うのって、女の子がほとんどじゃないですか。それを変えたい、おしゃれな男の子のスタイルを提案していきたいです」 KIPI代表 早瀬 忍 関西美容専門学校を卒業後、東京・表参道のサロンに新卒入社。その後、フリーランスを経て2020年に「KIPI」を立ち上げ。現在は育児にも奮闘中! Instagram : @hayaseshinobu <SALON DATA> KIPI/キピ 大阪市北区豊崎3-14-5 Instagram : @kipi_official_osaka

「超・主観的」私のこだわりワーク愛テム #5 パナソニック「プロバリカン ER1510P-S」 & 宝紀工房のシザー
毎日お仕事で使用している美容師のみなさんだからこそ語れる、お気に入りアイテムの「ここがいい!」を、個人的な偏見満載で紹介! メーカーのカタログからだけじゃ知り得ない、「愛した者にしか感じられない魅力」が今、明かされる…⁉(この記事は2023年10月掲載時点の内容です) <PROFILE> DOUBLE M オーナー/スタイリスト 的場 千敏さん 石川県出身。22年間勤めた大正区のサロンから独立。きめ細やかで丁寧なカウンセリング・スタイリングで、お客様一人ひとりの理想を叶える。 スタイリスト昇格時から愛用するバリカンは自分の手にジャストフィット ―お仕事で欠かせないアイテムを教えてください。 パナソニック社の「プロバリカン ER1510P-S」です。これは、私がスタイリストに昇格した時からずっと愛用しているバリカンで、20年近く使っていると思います。古くなれば同じ機種を買い直して使うほど気に入っています。 ―特に、どういった部分が気に入っていますか? 他にもいろいろなバリカンを持っていて用途によって使い分けていますが、この「プロバリカン ER1510P-S」はスリムボディで軽く、すごく持ちやすい。小回りが効いて細かい部分まで綺麗に整えることができるので、ついつい手に取ってしまうんですよね(笑)。それともう一つ、仕事に欠かせないアイテムがあります。 「宝紀工房」のシザーは小ぶりな6インチがお気に入り ―紹介していただけますか。 和歌山県にある「宝紀工房」のシザーです。「宝紀工房」は美容師・理容師が使うプロ仕様のシザーやシザーケースなどを手掛けているメーカーなんです。以前勤めていたサロンとお付き合いがあって、私も使うようになりました。いろいろなサイズを持っていますが、特に6インチのミニがすごく気に入っています。 ―見るからにかなり小さいですよね。 サイズはかなりコンパクトですが、切れ味が良く、驚くほど使いやすいんですよ。女性のショートやセミロング程度の長さであれば、これとセニングシザーがあれば十分です(笑)。これからもずっと使い続けたいアイテムですね。 <SALON DATA> DOUBLE M(ダブルエム) 大阪市住之江区北加賀屋5-6-18 リアライズ北加賀屋T02 Instagram :@double_m_hair

MY CULTURE #31 工藤花観/〈KAKAN〉デザイナー
スタイルのある女性に聞く 愛しのカルチャーヒストリー マイスタイルを謳歌する“INDEPENDENT GIRL”に、自身のアイデンティティに影響を与えたカルチャーについて聞く連載コンテンツ。 28回目の今回は、ファッションブランド〈KAKAN〉のデザイナー工藤花観さんに、よしもとばななの小説とアメリカ出身の写真家によるドキュメンタリー映画、スタイリスト北村道子さんの書籍を教えてもらった。 PHOTO_Shunsuke Kondo TEXT_Mikiko Ichitani EDIT_Yoshio Horikawa (PERK) ROFILE Kakan Kudo 工藤花観 18歳で渡英。名門セントラル·セント·マーチンズ基礎課程修了後、2022年イタリアのイスティチュート·マランゴーニのファッションデザインコースを卒業。24年に自身のブランド〈KAKAN〉を設立し、24-25年秋冬コレクションでデビューを果たした。 @kakan.ars @kakankudo ありのままの私を 肯定してくれるものたち 幼少期から美術教室に通い、アートや創作に触れてきた工藤さん。高校生の時に出合ったよしもとばななさんの長編小説『みずうみ』は、多感な当時の彼女の価値観を静かに揺さぶり、現在でも旅先に持ち歩いては何度も読み返すほど思い入れのある一冊なのだそう。 MY CULTURE #31 工藤花観/〈KAKAN〉デザイナーの記事の続きはこちら FASHION & CULTURE MEDIA for “INDEPENDENT GIRL” 『PERK』は2019年までの定期刊行の紙の雑誌から、20年春より“INDEPENDENT GIRL”をコンセプトにデジタルメディアとしてリスタートしました。自立心を高めながら、クリエイティブに、アクティブに日々を謳歌する。そんな“INDEPENDENT GIRL”に向けたファッションはもちろん、周辺のカルチャーにもフォーカスした多彩なコンテンツをお届けします。 WEB:https://perk-magazine.com Instagram:@perkmagazine YouTube:PERK magazine @perkmagazine1436

つづける、ということ。~あの人の、辞めるのやめた話~ #01「Labyrinth」代表 西尾隆介さん【前編】
あなたは今の仕事を辞めたいと思ったことがありますか? それでも辞めなかったのはなぜですか? そんなシンプルな疑問を、さまざまな職業人にぶつけてみました。 今まさに辞めようかどうか迷っているすべての方へ。 あの人の辞めるのやめた話から、つづけることの意味が見えてくるかも。 #01は、ヘアサロン「Labyrinth」代表 西尾隆介さんのお話を、全3回(前編・中編・後編)にわたってお届けします。波乱万丈の若手~中堅時代を乗り越え、今改めて思うこと、これから目指すものとは? まずは、厳しい時代を生き抜いた20代を振り返る【前編】です。 ※この記事は2023年4月公開時点の内容です。 >>続きを読む。 【中編】はコチラ。 【後編】はコチラ。 <今回の辞めるのやめた人> ヘアサロン「Labyrinth」代表 西尾隆介さん 1982年生まれ、高知県出身。2003年にNRB日本理容美容専門学校卒業後、大阪府内のヘアサロン勤務を経て2012年に独立、大阪・心斎橋に「Labyrinth」をオープン。現在は同店に加え、大阪・寝屋川に「Labyrinth yume」「Labyrinth noble」と、鳥取・米子にヘアカラー専門店「Kirei Yonago」を展開。また、2020年にヘアケアブランド「labyness」を立ち上げ、オリジナルヘアケア製品の開発・販売をスタートさせた。 https://labyrinth-hair.com/ @nishioryusuke 週1で人が辞める、サバイバルなアシスタントライフ。 ―まず美容師を目指したのはいつ頃、どのようなきっかけで? とにかく早く高知から都会に出たいと思っていた高校生の時、友人の兄さんが美容師を目指していると聞いて、自分もそうしようと。髪を触ることやオシャレが好きなわけでもないダサい田舎者でしたが、なんとなく美容師のカッコ良いイメージに惹かれて大阪の美容専門学校に進学しました。ちなみに、ちょうど進路を決めた直後にテレビドラマ「ビューティフルライフ」が放送されて、美容師人気が高まるタイミングでもありました。 ―みんながキムタク演じる美容師に憧れた時代ですね。最初に勤めたヘアサロンはどんな所でしたか? 大阪の中心地にある300坪ぐらいの大箱サロンです。1日170人程のお客様が来店されて、2時間待ちも珍しくない状態。あまりの忙しさに、1週間に一人のペースでアシスタントが辞めるんですよ。でもまたすぐに新人が入ってくるっていう……。そんな中で僕は閉店の23時まで働いて、それから24時まで掃除をした後、深夜3~4時までレッスンという日々。店に寝泊まりすることも多かったです。今思い出しても一番しんどい時期で、もう絶対にあの頃には戻りたくないっ!! ▲当時のヤバい働き方について共感する同世代の我々 ―時代を感じますね。当時はどの業界も少なからずそういうムードだった気がします。そんな過酷な環境で、なぜ西尾さんは頑張れたのですか? やっぱり先輩のスタイリストがめっちゃカッコ良く見えたからです。今は月の売り上げが100万いけば良いほうですが、当時100万はスタートライン。300万、400万、500万なんてスタイリストも珍しくなくて、自分もそうなりたい!という思い、ただそれだけです。 ―身近に目標となるスゴイ人がいたのがモチベーションになったと。何としてもそのレベルまで行きつこうと? そうです。でも、結局は辞めちゃうんですよ、僕。人間関係がしんどくなって、1年半後ぐらいに「もう無理!」って。 巻きで修了、爆速スタイリストデビュー&店長昇格。 ―新卒で入ったサロンをドロップアウトして、次に目指したのは? 大阪でも郊外のヘアサロンです。美容師が嫌になったわけではないので、京橋のサロンに就職しました。そこでは同僚たちに負けたくない一心で、いち早くスタイリストデビューして、誰よりも売り上げを上げたい! という思いが強かったです。結果としては入社半年後、21歳でデビューしました。 ―周りに比べるとスピード出世でしょうか? そうですね。既定のカリキュラムを無理やり終わらせて急いでデビューしたような印象でした。そしたら、デビューして3か月後に先輩方がみんな辞めてしまって。当時は美容室の開業ラッシュで、オープニングスタッフとして寄せ集めの美容師たちが2年ぐらい経ったら辞めてまた次へという流れがあり、ちょうどそのタイミングだったんです。 ―急に自分が引っ張っていかなければならなくなったと。 はい。そのまま22歳で店長になりました。そのうち20歳や18歳の新人も入ってきて、若い世代で回している店になって。今思えば色々とめちゃくちゃだった気がします。よくあれで乗り切れたなと。 ―その頃は辞めたいと考える余裕もなかったですか? なかったです。ただ、売り上げを上げたい! という思いはずっとあったので、当時唯一の情報源だった美容業界誌の「200万上げるには」「指名100人いくには」みたいな特集を毎号欠かさず読みながら、毎日ひたすら働く。いただくご予約は可能な限り全てお受けしていました。そしたら半年後には指名100人は超えるようになり、店内にサロン台が10席ある中、7席は僕のカット待ちのお客様という状態もありました。 ―あっという間に人気スタイリストじゃないですか! いや。まだまだ未熟だったのに、何とかこなす中でできるようになった部分が大きかったです。今考えれば、あの時すごく色々な方に犠牲になってもらって。よく付き合っていただけたなと思います。 ▲西尾さんの一生懸命さが皆さんを惹きつけたのだと思います ―やるしかない状況に追い込まれたことでグンと成長されたんですね。売り上げが立つようになってからは、モチベーションの変化はありましたか? それが、売り上げが上がればその延長線上で有名になれると思っていたのに、全然で。有名になって業界誌に取り上げられたりセミナーをやったりしたいと思っていたのですが、このままではその領域には辿り着けないと気づきました。そこから売り込みに力を入れるようになったんです。 苦節7年、地道な売り込みの果てに。 ―売り込みというのは、どういうことをされたのですか? 美容業界誌に載りたくて作品を持ち込みました。毎月作品をつくって、プロのカメラマンに撮影してもらって、それを東京の出版社に持参するんです。雑誌の一番後ろのページに出版社の電話番号が書いてあるので、そこに電話して「持ち込みさせてください」とお願いして行っていました。 ―今ならまずインスタで発信するんでしょうけど、当時はそうですよね。しかも、すぐには採用してもらえないイメージです。 そうですね。持ち込んで、フィードバックをいただいて、悪い部分を修正してまた翌月持って行くという繰り返し。結局ニューカマーとして初めて掲載してもらうまでに7年かかりました。 ▲またサラッとスゴイことを…… ―7年!? どこかで心が折れそうなものですが。 僕はつらいよりも、有名になりたい! という我のほうが大きかったです。じゃないと、持ち込みなんて絶対にできない。就職の面接よりはるかに緊張しますから。しかも悪い部分を指摘してもらえるならまだ良くて、可もなく不可もなくとか、コメントなしとかもあって。何度もへこみながら、それでも通い続けました。毎月評価していただくことで、普段のサロンワークも変わりましたね。 ―と言うと? カット、カラー、仕上げの各工程でセンスが磨かれましたし、時代とずれていないか、モデルに似合っているか、オリジナリティが出ているかを常に考えながら、形にできるようになりました。サロンワークだけやっていたら、そういった大事な部分に気づけなかったかもしれません。 ―編集部からのアドバイスに加えて、何か勉強もされたのですか? 目標とするスタイリストの方がいて、最初はその方のオマージュから始めました。サロンを2店舗経営しながら雑誌の表紙のスタイリングなどもされている方で、いつも意識していましたね。その方にどうやったら近づけるか真似しながら探って、近づきすぎて真似ばっかりになっているなと気づいたら、しばらく見るのをやめての繰り返しで。少しずつ個性を出せるようになったと思います。 こうして、周りの美容師の離職ラッシュには見向きもせず、我が道を突き進み目標を叶えていった西尾さん。怒涛の20代が過ぎ、いよいよ30歳で独立を果たします。しかし、そこからはオーナーとして苦悩の日々。スタッフたちの離職を食い止めるために、西尾さんが起こした働き方改革とは? 次回【中編】へ続きます。